山本精神分析オフィス

精神分析コラム

2019.10.03

3.万能的コントロール-原始的防衛

原始的防衛

われわれの想定では、新生児は外界と自己を一体に感じている。ピアジェ(Piaget,J) 箱のことを「原始的自己中心性」の概念でとらえた(この認知段階では、フロイトの「一次的ナルシシズム」にだいたい相当し、この時期は一時的思考が優勢である。)その当然の結果として、新生児はあらゆる出来事の原因をある意味で内的に理解する。すなわち、例えば幼児の身体が冷え、養育者がそれに気づいて暖かくしたとしたら、その赤ん坊は暖かさを魔術的に引き出したという前言語的な体験をするのである。じぶんは、がいかいにえいきょうをおよぼすことができ、働きかける力を持っているという感覚は、当然自尊心にとって決定的に重要な一面である。この感覚は万能というファンタジーで始まり、これは幼稚で非現実的であるものの発達的には正常である。

もともと、「現実感覚の発達における諸段階」注意を促したのはシャーンドル・フェレンツィであった。彼の指摘にいると、一次的な万能感や誇大感といった幼稚な心的状態においては、自分が世界を支配しているというファンタジーは正常であり、子供が成長するにつれて、自然に一人ないし複数の主要な養育者が全能なのだと信じ込むような二次的あるいは派生的な万能感の段階に移り、そして最終的に子供がさらに成長すると、無限の力を持つ人など存在しないという魅力的でない事実を受け入れるようになるというのである。自分の力が有限であるという成熟した大人の態度に至る前提条件は、逆説的ではあるが、乳幼児期にそれとは反対の情緒的体験を持つことである。

つまり、まず初めに自分自身が万能で次に自分が依存している人々が万能であるという発達的には適切なファンタジーふんだんに亭受できるような幼少期の生活が確保されていることである。この幼稚な万能感の健常な名残りは、われわれの中に例外なく存在し、生活を送る中で自分が有能で影響力を持っているという感覚に寄与している。われわれが自分の意志を実際に実行に移すときに感じる本能的な「高揚感」というものがある。幸運が目前にきている「感覚があって」その結果ある種のギャンブルで勝った経験のある人なら誰でも、この万能的コントロールの感覚がいかに甘味であるか知っているだろう。

万能的なコントロールの感覚を持ちたい欲求や、自分の束縛されない力の結果としてさまざまな経験を理解したい欲求が、抑えがたいほどの力を持っている人もいる。ある人のパーソナリテイが、自分の万能性を如何なく発揮する感覚を追求し楽しむことをめぐって組織化されていて、その他の実際的倫理的関心すべてが二の次に意味しかもたぬようであるなら、その人は精神病質と解釈されるべきである。(社会病質)と(反社会性)同義語)

ベン・バーステン(Ben Bursten)が『操作する者』という古典的研究においては社会病質と犯罪性は部分的に重なるものの同一のカテゴリーではないことである。 これは通常の概念理解と精緻な精神分析的概念が一致しないもう一つの領域である。 すなわち、一般人の間では、たいていの犯罪者は精神病質者であり、その逆もまた真であると考えるのが普通となっている。しかし、めったに法を犯すことのない多くの人でも、万能的コントロールの防衛によって駆り立てられるようなパーソナリテイを有している。 バーステンの研究の焦点は、意識的に対人操作をすることが不安を回避し自尊心を維持する主要な方法である、ということに会ったのである。

ほかの人々を「欺きだしぬくこと」に没頭し、それが喜びの源になっている人のパーソナリテイは、万能的コントロールに支配されている。そのような人々に共通しているのは、二枚舌を必要とする企てであり、刺激や危険を好むことであり、また自分の影響力を感じられるようにするという中心的な目的を優先し、その他のことを軽視する傾向である。例をあげると、そした人々はリスクを背負わなければならないビジネスでの指導的役割や、政治、軍隊、そしてその他のセールスの専門家、広告業界、エンターテインメント業界、むき出しの権力を行使する可能性が高いほとんどの職業階級などに見出される。

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