山本精神分析オフィス

精神分析コラム

2018.09.27

疾病利得

治療者

心理療法において、疾病利得あるいは「二次的利得」と呼ばれる抵抗が現れるのが珍しくない。患者が神経症の症状から手に入れる「利得」とは、無意識的な満足と防衛である。
患者は、強迫行為、強迫観念、恐怖症、潰瘍や喘息といった心身症状に苦しむ一方、病気を理由に、仕事や家庭、その他の生活領域での責任を免れることができる。症状へのしがみつきはこうしたメカニズムによって生じる。

専門家であれば、患者の慢性的な訴えに背後には、無意識的な願望が潜んでいるのが分かる。妻が冷たく批判的だといつも嘆いている夫は、無意識では妻にそうされるのを望んでいる。というのは、妻にやさしくされたり、励まさりたりすると、彼は耐え難い不安に襲われるのである。
同様に、夫が弱々しくて受け身的だと訴える妻は、無意識には夫にそうあってほしいと思っている。なぜなら、力強く積極的な夫だと彼女はあまりにも不安になってしまうからである。
親子関係の場合、互いに「不公平をあげつらう」ことで疾病利得が引き出され、相手を責めることで治療時間が浪費されてしまう。 もはや、患者が症状と引きかえに何らかの満足を手にしているのは自明の理である。

しかし、患者の症状が変わらないことによって、治療者が得ている満足に関する考察は無きに等しい。そうすると、次の問いがなされてもよいはずである。「治療において治療者が何をし、何をしないことが患者の葛藤を維持し、持続させるのであろうか?」と。

治療者の疾病利得、すなわち無意識のうちに患者の改善とは反する方向に誘導し、惑わすという現象を理解するには、まず、治療者が心理療法を職業として選択した理由を検討する必要があろう。 患者の話をよく聞いて心の奥深い秘密を明らかにする仕事を、治療者は毎日繰り返している。
このことから、治療者になる人物は無意識のうちに強い窃視症的な欲望を抱えており、治療によってその欲望を満たそうとしている、と推論しても不思議はないだろう。
また大人であれ子どもであれ、治療によって救われるためには、治療者との関係を維持し、治療者に依存しなければならない。

したがって、心理療法家になる人は、相手に依存されるような人間関係を続けることに喜びを見いだし、楽しんでいるとも考えられる。
多くの治療者は患者に頼られる関係によって、無意識的な救済者願望を満足させているといえよう。もしある人が心理療法家を目指すとしたら、その人は心理的葛藤に興味がそそられるということだろう。
心理療法という出会いを通じて、自分自身の精神力動をもっとよく理解したいと思っている治療者もまた、人の苦しみに惹かれているのである。

支持的すぎる治療者

心理療法は、患者の依存性を助長するだけで、患者が自分の力でもんだい解決するのを妨げているという一般的な批判がある。 こうした非難をぶつけられると、治療者は防衛的になって、自分たちは有意義な方法で援助していると反論し、困っている人には、心を打ち明けて話せるような信頼できる人物、何ら評価することなしに共感をもって聞いてくれる人物が必要だと主張する。 様々な理由から心理療法を批判することもできれば、治療の利点を無数に挙げて反論することもできる。

治療者が必要以上に親しげに支持的に接するならば、患者が治療者の意に反することをいう機会を奪うことになる。多くの臨床家によって提唱されたきわめて保護的で支持的なアプローチでは、治療者は、患者が心の中で待ち望んでいた欲求充足的な親の役割を果たす。しかし、これは患者に治療者を理想化するように強いることでもある。

支持的アプローチでは、患者も治療者も、受け身的で自己愛的な喜びを味わう一方、患者の攻撃性は水面下に潜ってしまい、夫婦関係の葛藤が深刻になるとか、別の神経症症状という形をとった攻撃性が現れるようになる。もし患者が欲求不満にさらされて敵意を感じたとしても、これを心理学的に抑圧し、偽装しなければならないとしたら、憎しみの感情はずっと表現されないまま無意識に残るであろう。 敵意に満ちたファンタジーを解放する手助けがあれば、患者の自我は過剰な破壊性から自由になり、人格の創造的な部分が健康な活動のために使われるようになるであろう。

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