山本精神分析オフィス

精神分析コラム

2020.11.30

覚醒時の生活における抵抗

抵抗

一般に夢のなかの活動性は覚醒時の行動が夢のなかの活動に反映されたものである。 そのため夢の抵抗も、覚醒時の生活の行動が反映している部分が存在する。

ここで言っている覚醒時の生活とは、一般に日常生活での対人関係の様式であり、分析治療での対人関係を表している。 患者は援助を受けようとしてきているのに、矛盾したことに、援助者(分析者)からの治療の影響から逃れようとする行動をとろうとする。(意識的・無意識的)この患者の策略を検討する。

覚醒時の抵抗の策略を夢の抵抗と関連づけて取り上げるのは、次の三つの理由からである。

  • 覚醒時の分析場面での抵抗は、その体験の中で現れる行動や感情に広く浸透しており、これが大部分夢の実質上の基盤を形成しているからである。
  • 覚醒時の抵抗が患者の夢を臨床的に効果的に用いるのを妨げるからである。
  • 夢の抵抗と対応している覚醒時の抵抗は、患者と分析者の合意による妥当性の確認という治療作業を行うときの焦点となるからである。
    この患者と分析者による合意の妥当性の確認の作業と抵抗の夢になされる解釈活動(作業)とか総合されると、その結果明らかになった相互関係が患者の夢と人格(性格)との関連を明確化するのに役立つからである。

覚醒時における抵抗の表れ方は

  1. 誠実そうに振る舞うことによる抵抗
  2. 直接に、間接に挑戦したり反抗したり、関係をもつのを拒むことによる抵抗
  3. 無力さや自己憐憫によって注意をそらす抵抗
  4. 誘惑による抵抗
これらの抵抗活動は、患者がその抵抗の事実にかがついているかの関わらず、不安や怒りにかられた競争的な対人操作であり、分析家の影響を回避することを目的としたものである。

誠実そうに振る舞うことによる抵抗

分析治療に来る患者は自ら決意して治療を受けようとして分析者のもとを訪れる。 しかしこの決意と、患者の病理的な人格とのあいだに、葛藤が生じそのために分析の進展を妨げるいろいろな抵抗が生じる。
これらの抵抗は、表面上は分析治療に誠実にかかわっているように見えるが、無意識のうちに治療効果を役立たないものにしてしまおうとする無意識的な働きをしてしまう。
その一つが

①手に余るほどの膨大な資料を提供すること である。
患者は自分の生活を進んで開示しているように見せていながら、その資料を進んで吟味しようとしないで、問題の本質を避けようとする。
例えば夢を大変詳しく説明するのにもかかわらず、その内容は日常生活の経験とは全く関係のないことを話しているのである。 たくさんの資料を提供することで、その資料を深く検討したり、解釈活動したり、患者と治療者が話し合ったりする時間を無くしてしまうという抵抗が存在する。

②自己非難したり、立派な解決方法を示したり、もっともらしい期待を述べたりするというのも、よく見られる一つの抵抗のタイプである。
患者が真剣に行動様式を変えることで、問題を解決したいということを述べるようなとき、治療者はそれに惑わされないように注意をすることが大切である。
たびたび治療の進展の代わりとして変化するということが使われる。 変化しようということによって患者はより一層の治療的努力をする必要があるという認識をするよりも、むしろそうした認識を低下させる傾向がある。
患者は通常自分で自分を騙していたのだが、根本的には分析家の努力を無駄にしようとする無意識的な競争的抵抗をしているのである。
このような対人関係のゆがみが患者の中に存在もするのである。

③変化を熱望したり、いったん手に入れたものを後世大事にすることも、治療的努力を避けるための手段としてよく使われる。
患者が真剣に問題に取り組んである程度の効果が出た後で「この効果の後もずっと続いてくれたら」と心底願うことがある。
このような願いは、分析治療の進展の前によく起こることがある。患者が現状からの変化に不安感・恐怖感を感じるためである。 人はみなよくなる時の変化にも不安感を意識するものである。これも一つの抵抗である。

④誠実そうに振る舞う抵抗の一つに不適切な根拠をあげて、洞察の「証」にするのがある。
ある患者は、病気を患っている一人暮らしの友人に、やさしく看病してあげていると分析者(Dr.ボニーム)に語っていた。 彼女は食料を買い込み、食事の支度をし、部屋を掃除し、余分の飲み物を用意し、それを飲むことを強くすすめ、それをやり終えて、面接にやってきた。
そういう親切が度を超すと「有難迷惑」「いらざるお節介」と言える場合もあるのでは。実際患者本人は心から親切な行為だと思っているのだ。 世話を受けている人にしてみれば、初めは親切だと喜んでいても、だんだんお節介の度が過ぎると迷惑に感じるようになる。
こういう患者の性格は相手に管理的・支配的な役割をするようになる。 また全ての事柄に取り仕切るのを好み、対人関係の弊害となる病理を示すようになる。

⑤治療に協力しているように見えながら、それが抵抗の表現となりやすいのが問題の原因を追究することに逃げ込んだり、問題の力動性を探求することへ逃げ込んだりすることである。
例えば、自分の人格について考えるのを拒み、関連の深い資料の吟味を怠っていた患者が、その病理の起源を突然に探究し始める。 「どうしてわたしはこうなったんでしょうか?」「どうして私はこういう振る舞うようになったんでしょうか?」と尋ねるのである。
こういう時、問題の所在を心から自覚し認めていない事柄について、その力動性や起源を納得ゆけるように調べられないのである。 何故なら結果(結論・答え)を求めて、その成り立ち(過程)を探求しようとしていないからである。まず「答え」はそこまで行きつく「過程」が大切である。

ただひたすらに従順であるというのも誠実そうに振る舞う抵抗の一つである。
この抵抗は患者の提出した資料に治療者の「感じた思い」を述べたことに対して何の反応もなく患者が無批判にすぐ同意し受容される場合それはうわべだけの受容だと思われ治療の進展に何らの効果も及ぼさない。
この治療者の「感じた思い=仮説」は患者の内面化するための探求の出発点である。 患者はこの治療者の仮説である「感じた思い」を自分の人生に照らし合わせて自己を探求するのである。こういうことが治療の進展を促すのである。

⑦たくさんの資料を提出することとよく似ているが、たくさんの解釈の洪水も、必要威所に混乱した資料を提示しているのである。
こういう種類の抵抗は、見分けるのが難しく、患者は本当に混乱しているのかもしれない。 患者が本当に自己吟味を行い、自己開示するようになると、話が中断したり、断片的になったり、関連のないばらばらな話題が出ることもある。
もし真剣に治療に取り組んでいるなら、そのかかわり方は本物になってくることがあり、反対に誠実そうに振る舞っている抵抗は、表面に出てきて話は本当にまとまらなくばらばらになっていき、そういう状態での感情の焦点化や大事な問題の焦点化が生まれないしできなくなっていく。

⑧抵抗と見抜くのが難しい抵抗には何度も洞察(知的に)には近づくのであるが感情洞察の直前まで行くと、そこから逆戻り(退行)するというのがある。
患者の対人関係(主として親子関係)の心の内奥を洞察するのに患者はどう感じているのか、相手はどう感じているのかを観察者の立場からは素晴らしく知的な理解を示すのであるが(それらの内容を)、 自分(患者)は情緒的な思いで相手にどう感じて行動(行為・様式)するのか、対人関係の当事者として、その時、その場の患者自身の振る舞いに直面しょうとしないで回避するという抵抗がある。
このことを分析者が指摘すると“先生は何も私の心が分かっていない”と分析者の言ったことを決まって否定をする。

意識的にあるいは無意識的に、意図して感情を誇張しようとするのがある。
感情を表現したくない患者の中に、かえって感情を大げさに表現する人がいる。 演技性人格やヒステリー性格の人がよく使うが自分が感じているよりも大げさに泣いたり、笑ったり不自然に感情を大きく表現しょうとする。 彼らは感じているのは表面的であるのにもかかわらずそれ以上に深く感じたつもりになっているのである。 その心の奥にはこれらの行動・行為の意味を見たくない・触れたくない本当の感情が隠されているのが往々にしてある。この技らしい振る舞いを見抜くことが大切である。

彼らは人を操作しようとする傾向がある。だからこの大げさな振る舞いが治療の妨げになるのである。 患者は自分の内面を探ることより分析家に自分を印象付けることに関心を持つからである。 そして自分が分析者に自分が誠実に分析に取り組んでいるということを示すことで分析家が自分に課する欲求が避けようと目論むのである。 もしその目論みが上手くいくと治療的な努力が減少する。

分析技法での基本は表層から深層に探求するのが大事なことで、そのため患者の振る舞いを指摘するべきである。 その振る舞いの内にこそ患者の内面の葛藤が含まれているのである。 この振る舞いの患者の抵抗分析が大事なことである。そこには患者の真実の感情が存在する。
分析は抵抗で始まって抵抗で終わるといわれるゆえんがそこにある。 この抵抗は患者にとっては見たくない触れたくないのではあるが。

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